10言語が飛び交う職場ースイスで働く日本人記者が考えるコミュニケーションのあり方。英語以外の共通語も

Photo: ©Ester Unterfinger / swissinfo.ch

世界中に7,000以上あるといわれている言語の中でも、人々をつなぐ共通語としての強い存在感を示す英語。特に、さまざまな国籍の人たちが集まる場では、お互いに英語を使ってコミュニケーションを取るのが最も効率的だと考える人も多いでしょう。

日本においても近年、国際的なビジネス展開を見据えて英語を社内公用語化した企業のニュースが話題となりました。

そんな中、14ヵ国の国籍の社員が所属するグローバルな組織でありながら、英語のみを共通語とするのではなく、あえて多言語主義を貫くユニークな企業が存在します。

スイス公共放送協会(SRG SSR)の国際部、SWI swissinfo.chでは、オフィスの至る所で合計10以上の言語が話されています。意思疎通のツールを一つだけに限定せず、多様な言語を取り入れている職場とは、一体どのような環境なのでしょうか。

そこには、仕事などで日常的に外国語を使う人や、英語の習得を目指して学習に取り組む人たちにも通じる、異文化コミュニケーションのヒントが詰まっているはずです。

今回は、多言語・多文化な職場での働き方、複数の言語が共存するコミュニティーのあり方などの視点から、swissinfo.ch日本語編集部に所属する大野瑠衣子(おおの・るいこ)さんにお話を伺いました。

話者プロフィール:大野瑠衣子さん

2004年からスイス在住。日本の映像制作会社やスイスの広告代理店勤務を経て、2014年にswissinfo.chへ入社。日本語編集部の記者・オンラインエディターとして、記事の作成および翻訳・校閲、各種SNSの運用・管理、より多くの人々にコンテンツを届けるためのディストリビューション業務などを幅広く担当している。

スイスで働く日本人記者に聞く、異文化コミュニケーションのあり方

スイスのニュースを10言語で発信する、swissinfo.chとは

swissinfo.ch日本語編集部に所属する大野瑠衣子さん

1999年に開設されたswissinfo.chは、スイスに関するニュースと情報を多言語で発信するオンラインメディアです。

スイスの公用語は、ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語の4言語。swissinfo.chでは、このうちのドイツ語・フランス語・イタリア語に加え、英語・スペイン語・ポルトガル語・日本語・アラビア語・中国語・ロシア語の合計10言語をカバーしています。

2014年からswissinfo.chで働く大野さんは、職場でのコミュニケーションにおいて、日本語・英語・ドイツ語・スイスドイツ語(※)の4つの言語を使い分けていると言います。

「同僚たちは皆、最低2つ以上の言語を話すイメージです。母語に加えてスイスの公用語のいずれかを話せる場合が多いので、英語しかできないという人はいないんじゃないかと思います。」

※スイスドイツ語:スイスのドイツ語圏で話されるドイツ語方言のこと。方言の一種とされるが、発音や語彙面において標準ドイツ語とは異なる点が多く存在する。

さまざまな言語と文化が共存するオフィス

スイスの首都ベルンに拠点を置くswissinfo.ch。「オフィスでふと耳を澄ますと、同僚たちの会話から色々な言語が聞こえてくるのが楽しい」と話す社員も。

大野さんは現在、スイスの公用語や英語で書かれたニュース記事の翻訳や記事の作成、SNSの運営・管理、メディアとしてより多くの人々にリーチするためのコンテンツ配信戦略の計画などを主に担当しています。

同じテーマの記事であっても、配信する言語圏によって読者の受け止め方や理解度はさまざまです。記事の執筆・翻訳の際は、国ごとの文化的背景の違いなども考慮し、必要に応じて文脈や説明を補いながらコンテンツを作り上げることが求められます。

「2022年の夏には、韓国ドラマ『愛の不時着』のロケ地となったスイスの静かな村に、アジアからの観光客が押し寄せているという内容の記事を書きました。

このドラマの日本での人気ぶりは知っていても、世界の他の国々でどれだけ反響があったのかを知ることは簡単ではありません。そんな時、隣のデスクにいる他言語の編集部の同僚に聞くと、すぐに彼らの母語で情報を調べたり、各国の事情を教えてくれたりしました。

こんな風に、特定のテーマに関して、国ごとに異なる認識や感触をある程度社内で嗅ぎ取り、各地域にぴったりの温度感でアウトプットできるのは、swissinfo.chならではの強みだと思います。」

オフィスのデスクはフリーアドレス制で、部署や担当言語を問わず社員が入り交じって働く。

言語の多様性を活かした部署横断でのコンテンツ制作

swissinfo.chの組織体制の中でも特徴的なのが、“Beats(ビーツ)”と呼ばれるグループの存在です。13のテーマ別に分かれたBeatsには、記者やビデオジャーナリストらが編集部の垣根を越えて所属。それぞれのBeatsが専門とするテーマに関してアイデア・視点を出し合い、記事や動画などのコンテンツを作成します。
 
「私が所属しているのは、『働くこと』をテーマとするBeatsです。定期的に行われるミーティングでは、『働く』というカテゴリーの中で、世界の読者がスイスについて知りたがっていることや、“Swissness(スイスネス)”、つまりスイスらしさのあるネタを持ち寄ります。

Beatsメンバーの話に耳を傾け、一緒にアイデアを練り上げていくと、自分だけでは吸い上げられなかった情報や新しい見方を得ることができます。また、出身国が異なるメンバーがいるからこそ、他の文化への理解も深まります。

一つのテーマに対して10言語分の視点が集まることで、よりリッチなコンテンツを作り上げられるのがBeats体制のメリットだと思います。」

共通語は英語だけではない

swissinfo.chでは、異なる文化・言語を持つ社員が集まる中、英語だけに縛られないコミュニケーションを実践している点もユニークです。

「全体会議となると、皆が理解できる英語を使うことが多いですが、ドイツ語で話したいという人がいれば、それはそれでOKです。プレゼンテーションのためのスライドは英語で作っておいて、話すのはドイツ語やフランス語ということもありますね。あとは、会議の参加者の顔ぶれを見て、『今日は〇〇語でいいかな?』とはじめに確認したりもします。

複数の国にルーツを持つ同僚も少なくないので、自己紹介の際は、出身や国籍というより、名前と何語を話すのかを覚えておくことが多いです。」

オフィスの休憩スペースに貼られた社内イベントの写真

母語以外の言葉で話す難しさを知っているからこそ生まれる助け合い

複数の言語を話すマルチリンガルの社員が数多く在籍するswissinfo.chは、言語面で非常に稀な才能を持った人たちだけが集まる特別な環境のように思えるかもしれません。しかし、多言語でのコミュニケーションを成り立たせている本質は、言語を学ぶ難しさや大変さを社員誰もが知っていることにある、と大野さんは話します。

「特に母語以外の言語では、上手く話せないことがあっても当然だと皆が認識しています。周りがそのもどかしさを理解してくれていると思うと、心理的にもすごく不安が薄れますよね。

会話の中で言葉に詰まった時は、『他の言語で言ってみて』などと周囲の人が助けてくれる空気があります。『これってドイツ語では何て言うんだっけ』と聞けば、ドイツ語ができる他の誰かの口から探していた単語がポンと出てきたり。

とはいえ、自分で下準備をすることも非常に大切です。私自身、プレゼン一つをとっても、テーマに関連する専門用語のインプットなどにはしっかりと時間をかけています。ドイツ語を話すようになってから15年ほどが経ちますが、マスターしたと思うことは未だにありません。」

語学を極める努力は怠らず、それでいて完璧さに固執し過ぎることなく積極的にコミュニケーションを図る姿勢は、どの言語を学ぶ上でも通じる、外国語上達のための近道のようにも感じられます。

社員間の対話を促す、「間違える権利」と「誤解する権利」

swissinfo.chが社内での協働を促すために定めた原則の中で特に興味深いのは、社員がお互いに「間違える権利」と「誤解する権利」を持っていると明確に示している点です。

さまざまな言語・文化的な背景を持った人たちが一緒に働く場では、仕事を進める上で何らかの誤解や間違いが生じるケースもあるでしょう。多様な文化が入り交じる中で起きるあらゆる出来事を、はじめからすべて正しく理解するのは、現実的にはかなり難しいことのようにも思えます。

社内コミュニケーションにおいて、「他者との関わりでは時に誤解も生じる」「誰にでも間違いはある」という前提に立つことは、不安や疑問点に対してお互いが率直に指摘をしやすい空気を生み、同僚同士が常にフィードバックを送り合う文化の醸成にもつながります。

swissinfo.chで企業広報を担当するSelina Haefelin(セリーナ・ハーフェリン)さんは、社員間での対話とフィードバックの重要性を強調します。

「swissinfo.chでは、他者や自分自身の間違いに対してオープン且つ寛容でいるカルチャーを、すでに高いレベルで作り上げられていると思います。

社員同士がフィードバックを通じて改善点を指摘し合うのは、質の高いメディアとして、事実に基づく正確な記事を発信し続けるためです。この目的の達成に向けて、誰もがオープンな気持ちで働ける空間を確保し、常に対話の機会を持つことが欠かせません。

私たちが目指しているのは、社員皆が気負わずリラックスした気持ちでやり取りができる環境です。」

言語の違いからミスコミュニケーションが起きやすい環境であることを自覚しつつ、同僚同士の対話とお互いへの的確なフィードバックを通じて仕事の質を高めていく姿勢は、英語などの外国語を使って働く人たちにとって、特に共感できる点があるのではないでしょうか。

自身もスイスの公用語4つを含む合計6言語を話すというセリーナさん(写真右)

先入観を取り払い、相手の話に丁寧に耳を傾ける

これまでswissinfo.chの多言語環境でおよそ9年にわたって勤務してきた大野さんは、コミュニケーションを取る際の心構えとして、「相手の話をしっかり聞き切ること」を挙げます。

「たとえば、母語ではない言葉を使っていて上手く話せないという理由だけで、すごく良いアイデアを持っているかもしれない人の意見が蔑ろにされてしまうのは、本当にもったいないことです。聞き手の方が、話の最中に『こういうことか』と自分の頭の中で先回りをして結論づけてしまったのでは、その人の話をほぼ聞いていないに等しいと思います。」

また、大野さんは、相手の国籍・文化に対する先入観や、自らの過去の経験から生じる解釈のフィルターについて指摘します。

「『あの時はこうだったから、今回もこういうことだろう』というこれまでの経験による考え方の癖は、結局は本人がいるコミュニティー内の話でしかないので、なるべく無くしていった方がいいのかなと。

自分の経験だけを基準にしてあれこれ仮説を立てると、とんでもない誤解に行き着いてしまう可能性もあります。

加えて、相手の言葉を勝手に深読みし過ぎないことも大切です。言葉の裏を読もうとして、相手が話してもいないことを想像しても意味がないですし、そもそも読むべき裏の意味などない場合がほとんどです。

自分の中で無意識のうちにフィルターがかかってしまうこともありますし、意識の改善もそう簡単にはいきませんが、とにかく事実ベースで、相手が言った通りの言葉をそのまま受け止める姿勢が大事なのだと思います。」

編集後記

4つの異なる言語圏それぞれに住むスイス人や他国からの移民を含め、さまざまなバックグラウンドを持った人々への取材を行う機会も多いswissinfo.ch。大野さんのお話を伺う中で、社内の多言語コミュニケーションによって培われる記者たちの傾聴力こそが、独自の視点での報道を実現する一因となっているように感じました。

英語やその他の言語を学んでいる方の中には、自分の語学力の未熟さ故に相手が話をまともに聞いてくれず、「日本語だったら上手く言えるのに」と悔しい経験をしたことがある人も多いでしょう。

一方で、自分が話を聞く側になった時、母語以外の言葉を使い、流暢ではないながらも何かを伝えようとしている相手に対し、どこまで真摯に耳を傾けられているかについても改めて考えさせられます。

多様な言語・文化が共存する環境においては、母語ではない言葉で話す相手への配慮や傾聴力といったコミュニケーションの要素が、お互いについての本質的な理解を深めるための鍵となるはずです。

【参照】スイスの視点を10言語で ー SWI swissinfo.ch

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English Hub 編集部

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